父は突然消え、

母は心に傷を負って植物状態になった。

残された三兄弟は、

誰も知らない犯罪に手を染める道を選んだ。

救いは、戦地で生きる心の友。

愛も夢も奪われた。

残されたものは、

生きのびる意志だけだった。

歓喜の仔

吉丘誠、正二、香は、東京北部の三つの区が重なり合った地域に住む三人きょうだい。

 一年前、父・信道は多額の借金を抱えて突然姿を消してしまった。
その直後、母・愛子はアパートの窓から発作的に飛び出し大怪我を負い、
意識不明で寝たきりになってしまう。以来、きょうだいの日々は一変した。

 ロックが好きだった長男の誠は音が聞こえなくなった。
父の借金を返しながら家族を養うため高校を中退し、早朝は野菜市場、
昼から晩は中華料理屋、深夜は覚醒剤のアジツケの内職をしている。
暴力団組織の斉木には引っ越しを手伝わされ、高平には密入国者を海から
引き揚げる作業に駆り出され、さらに内職のノルマを増やされ疲れ果てる誠。

 絵を描くのが得意で甘えん坊だった小学校六年生の次男・正二。事件後、
風景から一切の色が消えてしまった。寝たきりの母のおむつや体位を変えるのは
正二の役目だ。だが自分の洗濯や入浴はままならず、通っている小学校でも
「くさい」といわれクラス全員から無視されている。

 見えないものが見える長女の香は、朝八時、兄の正二に連れられて
幼稚園に通園するが、女子学生専用アパート前の電信柱で必ず足を止める。
理由は、正二にも分からない。ものの臭いを感じられなくなってしまった香だが、
押し入れの前で「くさい」と呟く。

 背負いきれないほどの現実がのしかかった仔らは、怒りや悲しみを押し殺し、
生き延びるため心を閉ざしてきた……。

吉丘誠(よしおかまこと)

長男、17歳。
父の借金を返しながら家族を養うため高校を中退し、早朝は野菜市場、
昼から晩は中華料理屋、深夜は覚醒剤のアジツケの内職をしている。
元々歌うことやロックを聴くことが大好きだったが、今は音が聞こえない。

吉岡正二(よしおかしょうじ)

次男、12歳。
寝たきりの母のおむつや体位を変えることを日課にする、母親想いの息子。
だが自分の洗濯や入浴はままならず、通っている小学校でもくさいといわれ
クラス全員から無視されている。絵を描くことが得意だったが、今は色が見えない。

吉丘香(よしおかかおり)

長女、5歳。
多国籍の子供たちがいる幼稚園に通っている。
存在しないはずのものが見えるため、通園中、女子学生専用アパート前の
電信柱で必ず足を止めて空に向かって話しかける。ものの臭いが感じられない。

吉丘信道(よしおかのぶみち)

父。多額の借金と家族を残して失踪中。

吉丘愛子(よしおかあいこ)

母。信道の失踪にショックを受け、窓から衝動的に飛び出してしまう。
意識不明の植物状態。

【プロローグ】

『歓喜の仔』の連載を始めるにあたり、幻冬舎の担当編集者たちに約束したことは、
「明るい話とは言えないだろうけど、毎回、読み終わったあとに、カッコイイぃと、ため息が出るようなものにするから」
 ということでした。不遜です。おこがましい。
 けれど本気で、最高にカッコイイものを書こうと志した物語です。
 むろん自分の基準に置いてのことであり、世間一般で考えられているような、あるいは通常のヒーロー・ヒロインものにあるような、かっこよさとは、違っています。
 これは絶対、違わなければいけないものでした。
 違うからこそ、自分にはカッコイイからです。
 いたらいい、いてくれたらいい……。
 わたしがいま、切実にそのように夢想する、カッコイイ仔たちが、生きづらさや息苦しさや、崩壊の予兆さえ感じさせる現実世界に、一つのモデルとして立ち上がり、人々の心のうちに、少し先でまたたく導きの光として存在することを、深く、静かに、希望しています。

二〇一二年十一月

【追記】

 担当編集者たちに、もう一つ約束していたことを、思い出しました。
「きっと物語の最後には、読んだ人の頭の上で、あるいは胸の奥で、《歓喜の歌》が高らかに鳴り響くようなものにするから」
 担当編集者たちは、約束は二つとも守られた、と言ってくれています。
 読者の方々には、ラスト、《歌》が聴こえてくるでしょうか。

天童荒太

天童荒太

Tendo Arata

60年愛媛県生まれ。86年に「白の家族」で野性時代新人文学賞を受賞。
96年『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、
08年『悼む人』で第140回直木賞を受賞。

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一九九九年『永遠の仔』(上下百三十一万部)、二〇〇八年『悼む人』(三十万部)を
遥かに凌ぐ勢い溢れる筆力で、現実と社会の病巣を描きながらも
生きる勇気と喜びを訴える衝撃作、世界文学の誕生。